ずいぶん前のこと。
ある日突然電話「私のせいで〇〇先生(私のこと)保育園を辞めたのですか?」と。
「ぜんぜんそんなことないですよ。タイミングです。」と返事。
そんなこと誰が吹きこんだのか、あぁあの人か。自責の念か、自分が嫌がらせしていたのが後から怖くなった!?
それでこの人になすりつけたんだなー。
園に保育士として勤め始めた時、主任から「無資格者が以前から長らく勤務しているが、法律が変わったので代わりにどんどん指導してください」とのこと。要はその古い無資格者保育者が辞めていただくために配属されたわけ。暗黙の....
長ーく勤務している方からしてみれば、私は本当にじゃまな存在なわけで、嫌がらせが始まった。
無駄に怒鳴る、理不尽な注意、退時タイムカード押されるなど・・・気がつくと円形脱毛になっていた。
しばらくして辞職した(いろんな事情が重なったのでタイミングだった)
そして、彼女からの電話・・・この時少しでも嫌みを言ったり、嫌なことを言わなくて本当によかった。
プールで会い、ジム仲間だった、狭い世界なのです。
彼女は難病を患い退職し、リハビリに通っている。山歩きが趣味の彼女がパーキンソン病に罹患してしまう過酷な人生。
お近づきになり、友人になって、あちこちに遊びに行っている。
神さまの導きは不思議・・・どうか私たちをお守りください。![]()
PS、この保育園現在、裁判沙汰でドロドロ中 全国新聞に掲載
ある日出版社から電話があり、在庫の本を送りたい旨。どのくらい?段ボールに6箱。詳しいことはお互い話さず、察するのみ。
えーと言う気持ちとどうする?という気持ちが交差する。とにかく送料が気になったけど、請求はなかった。(そこ?)
要は在庫処理なんだろうとかって思った。でも後日事情が手紙で送られてきた。
我が家にも遠路はるばる編集者共に来て下さった社長さんが70才で亡くなられたとのことだった。(具合が悪そうでした)
出版社は同系列の会社が引き継ぐことになったそう。最初はこの本をどうしようかと検索してみたけど、売ったり処分したりとなんとも
哀しい感じ。でもただ置いておくには多すぎる(2箱は私の葬儀のときにでも配ってと言ってある)しばらくおもいあぐね・・・・
そうだ、東北の教会にまず送らせていただこうと、次は宣教学校の学友、養護学校、保育園幼稚園など思いつくところに。
書籍は会社のものだから、ただでもらった形?在庫を抱えたくない処分?とらえ方はいろいろだけど、私は文書伝道にするって決めた。
眠らせておくにはもったいないからね(^^)
この作業は楽しい・・・が養護学校になると、宛名書いているときに切なくなってくる。例、恵み愛、天使園・愛児園・聖母園など(孤児院)とあるのだ。この宛名だけで感性の強い私は胸が苦しくなってくる。
そこで最近あちらこちらから本の返礼かしら?牧師・心療内科の先生から送られてきた御書がとても助かることになった。
神のなさることはすべての時にかなって美しい(伝道の書3:11)とはこのことか。励ましになっている。感謝
現在はだいぶ良くなり、以前の不自由さは忘れかけている。
当初(1、2月)は診察も含めると週三回もリハビリセンターに通った。
寒い中歩きから自転車で通い、まず血圧を測ってから受けるのだが、急いで歩くのではぁはぁ鼓動で180もあるときがあった。
痛いリハビリから段々快方に向かっていくと手持ち無沙汰?からか担当とおしゃべりになる。
福島から来た療法士は読書が趣味の真面目な感じの方。私の活動話を面白がって?聞いてくれる。
プールでリハビリ兼ねて背泳ぎなどで腕をなるべく遠くに伸ばして泳いでいる。
傷はけっこう目立ち(7㎝)他にも3カ所。人にどうしたのって聞かれまくる。^_^;まだ絆創膏を貼って隠してる。
プールのコーチにも指導を受け筋肉をつける運動に励んでいる。(まだ腕が真っ直ぐにならない)
まぁ、すっかり元通りにならなくてもいいんだけどね。リハビリ先生は計ってダメだしするので・・・汗
こんな日々ですが・・・ぼちぼち何処か旅に行こうかな~(^^)
昨日は診察とリハビリ、結果良好。レントゲン写真で骨折箇所を見るのだけど、ボルトやプレートが入っている。
このままらしいけど・・・私の身体にはチタンがあちこち入って、まるでサイボーグだわね。荼毘後は残ってるわwww
陶芸もまた始まったので、リハさんに小皿をプレゼントした。
年末の出来事だった。
1階の電気の傘を掃除してキレイになったのに気をよくして2階の寝室の傘に取りかかったところ
机の上から転落してしまった。正確に言うと足場の衣装箱が割れバランス崩した。猛烈な痛み、仰向けのまま耐えなんとか
Dに病院へ連れて行ってもらい、レントゲンその後診察。もう泣きたいほどの痛みが襲ってくる、移動は車椅子になる。
そのままオペの検査入院となる。
次の日4時から肩の骨折によるオペとのこと。何をするにも激痛。トイレが哀しい。ベッドからずり落ちるかたちで移動し、なんとか簡易で済ませる。ほんとスタッフのお世話になりっぱなし。仕事とはいえ・・・感謝しかない。
となりから男性の声、後で聞くところによると認知の方でなんどもナースを呼びトイレに誘導したがるとか。
トイレで一生懸命説き伏せて納得されたのか、そのあと静かに就寝の様子。ナースのご苦労数知れず。
全身麻酔でオペ終了。痛み止め他点滴始まり・・・少しやわらぐ。
前日絶食だったので出された食事がうれしい。しかし、ペットボトルの蓋が固くて開かない。こんなことでナースを呼ぶのは忍びない。
足も使いなんとか。自分の身体の使えるところを探索する感じ。リハビリ始まる。作業療法士の指導が親切(後に拙書寄贈)
骨折してから4日で退院。鬱血で胸と腕が紫になる。
年末は家で過ごせた。早い退院でナース驚く。本当は一週間くらいだったのかな?
家ではふたりの介護?になり、身に染みた。ふたりもいろいろ自分のことも含めて考えされたと言っていた。(入院の手続きは複雑かもね)
2023 年12月5、6日と湯田中温泉へ行きました。
頑張った自分へのご褒美と称しての記念旅行。
湯田中行きの長野電鉄に乗り、途中乗り換える電車の中ではシンガポールから
来たという家族とお喋り。1両の中で他に誰も乗っていなかったからリラックスして話せた。
この家族はわざわざ東京滞在の後、野猿公苑の予定だという。その後は京都、大阪そして帰国するという。
私はこの家族と話した影響で予定になかった野猿公苑ヘ行く気持ちに。
想い出を記しておこう。
まず、昼食をと思ったけど温泉街は寂れた感じで昭和ノスタルジーたっぷり。選べるほど
店はなし。。。食べ歩きマニア?としては勘で見つけるしかない(^^)
やっと歩き回って暖簾を見つける、そこはおばあさん営業の仲良し食堂。メニューはラーメンのみ!!
とても美味しかった。そして、地元の方がラーメンならここに来るとお兄さん。やったー,勘は当たった!?(ちなみに、もう中の色紙有り)
行きも帰りもひとりって!
足が痛くなって途中で引き返すも、平和の鐘だけはちゃんと鳴らしてきた(^^)
そして足湯を見つけ、松本清張を読んでいる私よりも少し上の方とお喋り(こういうのがいいよね)
他人同士の込み入った家の事情を話す。母親ならではの悩みは似かよってる。いつまでも母親なんだよね~。
時間になりじゃらんで決めた水明館2食付き、長野県民割マイナス1000円
温泉の湯がやさしく、三度も浸かった。
次の朝、駅に行くと外国の人ばかりでなんかいい雰囲気。膝が痛むので地獄谷はやめようと思っていたが・・・目の前にタクシー2000円で行ける(実際は1800円だった)旅行は想い出作り、けちらない方が良いと決めた。そして、山間をけっこう歩き野猿公苑へ。
左は唯一の旅館。雪はないけどスノーモンキー野猿公苑は世界で有名な場所。
ほら外国人いっぱい、ラッキーなことに同じホテルに泊まった富山からの夫婦からのご厚意で帰りは車で送って貰う。感謝!楽しさ倍増(^^)ひとりもいいよね!
最近は泳ぎと散歩・・・近所の河原を歩くのが好き、気候もいいしね。
だけど様変わりした河原・・・あの自然はどこいった?
台風19号で私の散歩コース(雑木林)も浚われてしまった。
しかも、河川の大掛かりな整備でさらに様変わり、やっと残っていた林もなくなってしまった。
そこに生息していた友達?のキジ家族も居なくなってしまった。他にも鳥の巣があったのに・・・
市役所環境課にひとことメールしてみたが、何の効果もなく力を見せられただけ!?
それでも遠くからキジの声が聞こえたり、鴨が泳ぐ姿が見られた。
鳶が頭上近くで何度も旋回してくれた(慰められた)私たちは逞しく大丈夫よっていうように感じた。
いつも思う、人間って勝手だよね。ごめんね。動物たちと共生できない世界なんて廃墟だよ。
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